インサイトのINSIGHT 2.0

宮里藍さんメンタルコーチの教え

2010年9月 3日 19:04 - [ 経営 ]
こんにちは、9月というのに、まだまだ残暑厳しく暑い日が続きます。
夏(秋)バテなど、されていないでしょうか?
私は、外回りで、一日中太陽に当たったため、鼻の頭がヘルペスになり赤く腫れ、会う人会う人に「どうしたん?」と言われる日々が続いています。(笑)

気持ちは元気な20代なのですが、身体は正直です。(そんな若くない)

green.jpgみなさんは、ゴルフをされますか?
ゴルフをされない方でも、宮里藍さんの名前は聞かれたことがあると思います。
オフィシャルサイトはこちら(http://www.ai-miyazato54.com/)です。
54と言う数字は、18ホール全てでバーディをとったときのスコアーで、彼女の目標であるソレンスタム選手が掲げた「ビジョン54」からとったものです。宮里選手のゴルフバックにも書かれていたような・・・。

今期5勝は日本人最高。世界ランキングも現在3週連続1位です。こちら
現在、世界1位の彼女も、全米女子トーナメント参戦当初は勝てなかった。2007年には、トーナメント途中棄権という精神面の葛藤が相当ありました。

golfclub.jpgゴルフは、メンタルスポーツと言われます。
30センチの1パットが勝敗を分け、富と名誉を分けます。
300ヤードオーバーとドライビングも、数センチのパットも1打のスポーツです。

最悪の2007年シーズンから何が変わったのかという一つのヒントに彼女専属のメンタルコーチの存在があります。
2008年からピア・ニールソンという女性メンタルコーチの指導を受けています。

彼女は、
『決断し、集中し、スイングする。それだけのこと』
『犯してもいないミスを考えてもしょうがない』
『いいイメージだけを取り込み、悪いイメージはゴミ箱にポイ!』
と、毎日、語りかけるそうです。
そして最終的には『自分が自分の先生になりなさい』と、
何か特別なことを教えているのではなく、とにかく物事をポジティブに考えさせる
とのことです。


低迷する日本経済、出口の見えない不況、失われそうな20年、すべて物事はネガティブ思考です。
そんな日本丸には、政界、財界、学者の偉い先生より、メンタルコーチが必要なのではないか?
と思うのは私だけではないと思います。

第7期目のスタートです。

2010年4月 1日 20:14 - [ 経営 ]
本日より、株式会社インサイトの第7期目がスタートします。

この記事を掲載するに当たり、昨年の記事をあたらめて見てみました。

そのときから比べ、
 売上げ Down ↓
 利益率 Down ↓
 社員数 Down ↓
です。

では、原因は?
景気が悪い? 政治が悪い? 日本が悪い? 関西が悪い? 大企業が悪い? 云々。

そんなことは、百も承知です。 上向いて唾をはくような、言い訳はしたくありません。

反省するところは、反省し、次に何をするかを考えることが重要です。


コンセプト1. 「常に成長している分野に、軸足を置く」

時代は急速に変化しています。
テレビは、ブラウンから薄型液晶へ、2Dから3Dへと、めざましい進歩を遂げています。
従来からの、ビジネスモデルをそのまま続けても、飽和し、大衆化し、最終的には価格競争へ突入していきます。
価格競争やダンピング合戦になると、資本力・総合力がモノをいいます。

弊社のような、零細企業は、ただせさえ利益が薄い中、そこの価格レースにエントリーしつづけるのは、自らの身を削って、延命させているにほかありません。
大手企業は、景気が悪いときには、次に景気がよくなることを想定して、設備投資や、社員教育・優秀人財確保を行うものです。中小零細はそれができず、ほそぼそと爪に火をともす生活を余儀なくします。

一昔は、景気が下がれば、そのうち、上がるものと、楽観視してもよかったのですが、今そのライフサイクルが、まったく予測できません。

それでは、企業の活力や、社員のモチベーションは減退しかありません。

ベンチャーは、従来のビジネスモデルに縛られず、今もしくは、近い将来、発展するであろう分野に、思い切って舵をきる勇気が必要であると考えます。

そういう意味で、
 ・発展性のある、クラウドソリューションに注力していく。
 ・Androidや、iPhoneをはじめとするスマートフォン分野の調査と開発(R&D)を推進していく。
という、考えです。


コンセプト2.「変わらないために、あえて変化・進化していく」

インサイトはIT以外は、全く興味がありません。ビジネスのドメインは、IT(情報技術)です。
IT以外は行いませんし、行ったとしてもそれは、失敗するだけだと思います。

ITは日々、技術革新(イノベーション)があります。

よく「ポケベルとFAX」の話が例にあげられます。
ポケベルは、後発(新しい技術)であるにも消滅し、FAXは未だにに残っているには、なぜか?
ポケベルは、携帯電話という、より便利なもの、100%補完できるものの登場によって消滅してしまい、いまだFAXは、補完できる技術がないため、今も利 用されている。

ポケベルのコンテンツやサービスを行っている企業は、携帯電話の登場したとき、その危機感を共有し、携帯コンテンツやサービスをR&Dをしていくことで成長していきました。

ドイツ初代宰相のビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と語ったそうですが、変わらないために、あえて変化するチャレンジングな気持ちをもう一度奮い立たせます。


皆様、今期も、インサイトをご愛顧のほど、宜しくお願い致します。









Stay hungry, Stay foolish.

2010年3月31日 08:23 - [ 経営 ]

本日は、インサイトの第6期の決算日、いわゆる期末です。(汗)

なにか意味のある記事にと思いましたが、バタバタで思いつきません。
強引な「こじつけ」かもれませんが、卒後シーズンとかけて、とある人の卒業祝賀のスピーチを掲載します。

(ヒントは、タイトルです。Macな人なら分かりますよね!)

小生ごときが、コメントすると、このスピーチの値打ちが下がるので、あえて何も語らず約15分お付き合いください。






the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios 2005年6月12日

翻訳すると、

PART 1. BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私 は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3 つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講し ていました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

  私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたの で、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの 土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が 行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出てい ないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したの で、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

PART 2. COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタン フォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃に は、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてく れるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信 じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だっ て退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんで すからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラ の瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレク リシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値 のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

PART 3. CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至る ところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。も う普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしい フォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私 はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って 最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組 み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただ ろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったこ とになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかっ た。

 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 もちろん大学にいた頃の私に は、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見 えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げ ることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カル マ...何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の 心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

PART 4. FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを 始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になり ました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになった んです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップル が大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀 裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうこ とです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたら いいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、 そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人 ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでし た。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんで す。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということ が分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わ りに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は 私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功して いるアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アッ プルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の 薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り 投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好き なことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底か ら満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、 好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかる とすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけな い。

PART 5. ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って 生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在 に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私 は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが"NO"の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常 に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て...外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や 挫折に対する恐怖の全て...こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に 大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限 り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
               
PART 6. DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上 の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符 牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝 えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。 それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を 突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静 剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出 したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありが たいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い 経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経 験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに 行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、 そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェ ンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君 たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、で もそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡 め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感 を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だから それ以外のことは全て、二の次でいい。

PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌 面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライター とはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきも ので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの"The Whole Earth Catalogue"の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でし た。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度 は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たち に、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

(翻訳 市村佐登美)


パラリンピックのユニホームと会社の椅子

2010年2月28日 19:17 - [ 経営 ]
▼熱戦を繰り返して、感動と涙を与えてくれた、バンクーバー冬季オリンピックが閉幕しました。
振り返ると、短く濃厚な17日間ではなかったでしょうか。スポーツには政治や国家間の紛争がないことを改めて感じました。

個人的には、カーリング女子、クリスタルジャパン チーム青森に睡眠時間を削って応援しました。(早朝の試合が多かった)
結果は予選敗退でしたが、カーリングのおもしろさを多いに伝えてくれました。胸を張って帰ってきて欲しいです。

この後は、マスコミではあまり取り上げられませんが、パラリンピックが同じくバンクーバーで開催され、熱戦が続くことなります。


▼皆さんは、このパラリンピック日本選手団のユニホームが、オリンピックのユニホームと同じことをご存じでしょうか?
また、つい最近まで、同じ日本代表なのに、オリンピック選手とパラリンピック選手の公式ユニホームが違っていたことご存じでしょうか。

これを発案したのは、当時の首相、故小渕恵三氏です。
1998年の長野オリンピック・パラリンピックから同じユニホームになったと記憶しています。

当時のパラリンピック選手のプライド・モチベーションに大いにつながったと思います。


▼外国人(特にアメリカ人)は、「フェアー(公平)である」ということに、とかくこだわります。
「あなたの判断は、とてもフェアーだ」とほめたり、「これは、誰が見てもアンフェアーだ」と反論します。

日本では、平等(イーブン)ということを重んじます。

公平と平等 どう違うのでしょうか?

「公平」というのは、ひいきすることなく全員にチャンスを与えてあげることです。
例えば、くじ引きを引ける人と引けない人がいたら、不公平になる訳です。

「平等」というのは、全員に同じだけの評価を与えてあげることです。
例えば、兄弟で年齢が異なっていても、同じ量のおかしを与えてあげないと、不平等になる訳です。


▼先日、弊社へ訪問されたキャリアコンサルタントから、社内で使用している椅子について話を聞かされました。
彼が大変、感動して話してくれたのは、全ての椅子が同じ製品のものであったことです。

多くの企業は、役職(地位)に応じて、デスクなり、椅子が違うそうです。
社長は革張りのハイバック、部長・課長は肘掛け付き、平は肘掛け無しのファブリック、アルバイト・パートはパイプ椅子とかです。

(ご自身の会社は、どうですか?)

彼の経験では、社長以下従業員の椅子の仕様・形状・カラーが違っていない企業ほど、組織がフラットである と言うのです。
口では、「我が社の組織は、フラットですよ」といい、社長室の社長椅子が、スゴイ豪華な椅子の会社は、どうも、信じられないそうです。分かるような気がします。

弊社は、全く何も考えず、全て同じ椅子を使用していました。(ちなみに机も同じです)
少しは、信じてもらえたかも知れません。


そんなところまで見ているのかと、キャリアコンサルタントは違うなと改めて関心しました。

ちなみに、よく「組織は、フラット」と言っています。(笑)

スポーツと企業経営

2010年2月17日 08:21 - [ 経営 ]
vancouver2010_logo.gif先週より、バンクーバー冬季オリンピック開幕です。
皆様 寝不足ではないでしょうか。開催期間中は、全種目のエアーチェックし、「オリンピックオタク」になります。 移動時間も携帯ワンセグで観戦と、ツイッターで現地からの生のつぶやきの2台体制で、楽しんでいます。
(ちゃんと、お仕事もしています。念のため)


▼昨日、500m男子スピードスケートで、長島圭一郎選手が銀、加藤条治選手が銅と2つのメダルを獲得しました。過去は日本のお家芸だったスピードスケートも、前回トリノではメダル無しに終わり、2大会ぶりのメダル確保で、これから競技に臨む選手も大いに発憤材料になると思います。


と、スポーツニュースのようにオリンピックのことを書こうと思いません。

それなら他にたくさんありますので、有名人の多いアメブロでオリンピック記事を検索した方がよろしいかと。


競技終了後、テレビの中継で「ハッ!」しました。

sankyo-2.jpgそれは、メダリスト2人の所属する会社が同じであり、その応援中継で、旗を振っていた人に緑文字で「Nidec」の文字が見えたことです。アナウンサーからは「日本電産サンキョーの応援団」といっていました。


▼数年前の新聞記事とつながります。

日本電産が三協精機を買収したとき、永守会長がスケート部を存続させることを発表した記事です。

現代の企業は生き残るため、社会人チームを廃部もしくは、無期限休部にするケースが多く見られます、特に三協精機のような製造業のほとんどの企業は、その費用対効果から撤退するケースがほとんどです。(国すら、事業仕分けで、スポーツ振興に予算をつけなかったくらいです)

そんな中、スケート部を存続させるさせる理由として、永守氏は「目先の損得だけで、社会人チームを廃止するのではなく、買収したからには、そのチーム(会社)の歴史や文化まで面倒を見る責任がある」「損得を考えるなら、スケート部ではなく、もっと広告効果の高いスポーツはいくらでもある」といったコメントを残されて、ものすごく感動したのを覚えています。

あれから数年が経って、その存続を受けたチームから2人も同時にメダリストがでるなんて、だれも予想はしていないと思います。また、それにより会社の知名度・認知度が上がり、株価も上昇するなんて夢物語にしか思えません。(ご本人は、想像できていたのかも知れませんが)

経営思想や企業哲学のようなものが、心を揺さぶりました。

企業人として、グループ会社を取りまとめるリーダーとして、未来から現在を見れる優れた経営者だなと、再認識させられました。


▼優れた経営者のアンケートをとると、松下幸之助、本田宗一郎、森田昭夫、小林一三 etc.と名前がでてきます。
しかし、それらの偉人は、現在すべて天国にいらしゃいます。

100年に一度の不況の中で、明確な処方箋を偉人本人からライブで聞けません。偉人の考えや、理念は書物やVTRで継承できますが、リアリティがいまいち希薄に感じてしまうのです。

永守会長は、66歳 現役です。
まさに「今」と言う時代を生きられている、また勝ち続ける優秀な企業経営者と改めて敬服致します。

氏の色紙に「すぐやる! 必ずやる! できるまでやる!」というのがあり、すごく好きなことば一つになっています。



今日も、京都の日本電産本社ビルで、緑のネクタイをして高笑いしてる永守会長がいることを想像して止みません。


(後日記)
銀の長島選手に1000万円、銅の加藤選手に600万円のボーナスを出す記事がスポーツ紙に載っていました。ボーナスの半分以上は、永守氏のポケットマネーだそうです。うーん、これもイケてます。

ある契約社員の孤独死について

2010年1月22日 08:14 - [ 経営 ]
ちょうど1年前になりますが、読売新聞社会面のニュースでショッキングな記事がありました。

年齢も近く、同じIT業界に身を置く者として、同じ大阪市民として、考えさせられます。

記事に関しては、ほぼ全文掲載します。


(2009年1月25日)
大阪市住吉区のマンションで14日、元契約社員の男性(49)が、栄養失調状態で孤独死しているのが見つかった。
死後約1か月。男性は職を転々としながら独り暮らしを続けていたが、約2年前に体調を崩してから仕事がなく、区役所に生活相談に訪れていた。

命は救えなかったのだろうか。

マンションはワンルーム形式で、家賃は月3万9000円だった。
その家賃が昨年11月分から滞納されていたため、14日午前、管理会社の社員(55)が訪ねたところ、ベッドで、普段着のまま男性が死亡していた。

遺体は、極度にやせ細っており、行政解剖で、胃の内容物はほとんどなく、死後約1か月とわかった。
糖尿病を患っていた。冷蔵庫は空っぽで、所持金はわずか90円。住吉署は餓死の可能性もあるとみる。

近所づきあいはなく、同じ階の住民(35)は「どんな人が住んでいたかも知らない」と話した。


男性は、徳島県鳴門市の生まれだった。地元の高校を卒業し、母親(81)と兄(52)を残して大阪市に出た。
工業用ミシンメーカーに就職。
以来、ずっと大阪で暮らしていた。兄は「地元に仕事はなく、弟は大阪で生活するしかなかった」と話す。


男性は、フリーのプログラマーとして職を転々としていた、という。2003年から勤めていた神戸市の情報処理会社によると、同社でも、プログラマーとして銀行のシステム開発に携わった。
「仕事熱心でまじめ」という評判だった。

だが、07年3月に体調を崩して退職。同12月から入院生活を送った。

大阪市によると、男性は退院後の昨年2月、住吉区役所の生活保護窓口を訪れた。
「仕事がなく、通院しながらの生活が不安だ」と訴えたが、担当職員は「働く意志がある」と判断。
「まだ若いので求職してください。仕事が見つからなければまた来て」と伝え、生活保護申請の
必要書類を手渡すにとどめた。

職員は男性の連絡先を聞かず、男性も窓口を再び訪ねることはなかった。

同区の担当者は「結果は残念だが、対応に問題はなかったと考えている」とするが、
市民団体「住吉生活と健康を守る会」の岸晃事務局長(68)は「その日の生活も苦しくて訪ねたはず。
その場で生活保護の申請ができるよう職員が積極的に事情を聞くべきだった」と指摘する。

実は、男性は、区役所を訪ねる前月分から家賃を払えなくなっていた。
管理会社には「病気で仕事のあてがない」と話していた。
結局、5か月分を滞納したが、この時は、実家に無心し、滞納分を支払った。

しかし、昨年11月から再び家賃が滞った。男性は今度は実家にも明かさなかった。
年末に兄に電話をかけてきた。
兄は「生活保護を受けたらどうだ」と勧めたが、男性は「元気だから」と答えるだけだった。

それから間もなくの死。

兄は「私もいま、失業している。弟は、家族に心配をかけたくなかったのだろう」と唇をかんだ。
(社会部 冬木 晶)


改めて考えさせられます。

たまたま自分は、健康だったから、病気にならなかったから‥、紙一重、運命、定め、そんな言葉があたまをよぎります。

自分は悪いことなど一切していない。では誰が悪い?何が悪い? 世間が悪い、社会が悪い、といってみても、なにも変わらない今日があるだけです。

やはり、自分で小さなことでも、なにかを起こす。行動する。向かって歩む。

いまの現実に最善を尽くすことが、試させれる、2010年になると思います。


残念!ニューオータニ神戸、17年の歴史に幕

2009年12月27日 12:41 - [ 経営 ]
クリスマスの余韻冷めやらぬこの時期に、テレビで残念なニュースを見ました。

▼17年間にわたり神戸を訪れた観光客をもてなしてきた「ホテルニューオータニ神戸ハーバーランド」(以後、ニューオータニ神戸)が26日、営業を終え、閉館するというニュースです。

もう2年も前に決まっていたそうですが、今日、ニュースで知った関係もあり、とてもショックです。
このホテルには、同級生や、知人の結婚式で度々訪れる機会があり、宿泊だけでなく、チャペルやバンケットも、よく知っているホテルの一つでした。

ニュース記事をみると、阪神大震災以降の宿泊客の伸び悩みが原因の一つとのことですが、そもそもホテル経営というのは、多額の負債を抱え長期に渡って返済すると聞いていますので、17年というのは、あまりにも短すぎるのではと思ってしまいます。

物質的にホテルが消失してしまう悲しみより、ホテルで結婚式を挙げた夫婦にとってみれば、式当日の思いと、現在をつなぐ精神的な大きな架け橋を失うことになり、そちらの悲しみは計り知れないことです。


▼そういえば、夏頃、「六甲オリエンタルホテル」が閉鎖していることを知り、同様のショックを受けたこととダブります。
Google Mapで必死で探したのですが記載がなく、山道を必死で追っかけたところが、空き地になっていました。
調べると、2007年6月15日限りで営業を停止したとのことでした。

夜景の美しさと、ジンギスカンが有名なホテルで、ここのバーから見る夜景は絶品でした。カクテルもおいしかった。
夜だけでなく、昼間のテラスも美しく六甲を代表するホテルであると思っていました。

Wikipediaでみると、2006年10月1日の阪急・阪神経営統合にあわせ、阪急阪神第一ホテルグループの一員となり、六甲山の観光施設の見直しにより、元阪急電鉄系の六甲山ホテルと競合する施設のため閉鎖となった、とありました。 


▼国道2号線の塩屋?垂水間に、「塩屋異人館倶楽部」という、周りとは不釣り合いな洋館の喫茶・レストランがありました。フランス国旗がたなびいていたので、お分かりの方も多いと思います。
旧箙(えびら)邸、J・Rエレオット邸の居住者だった方の邸宅をリフォームした、海の見える、ガーデンや、パティオがある、大人のレストランでした。

学生時代、この塩屋異人館倶楽部へ車で行って(駅から歩いては少ししんどい距離なので)お茶するのが、最高におしゃれで、憧れでした。
いつか、いてもいない彼女とのデートに使ってやると何度も、その狭い駐車場へどう車を入れようかシミュレーションしたもんでした。塩屋異人館倶楽部へ行くために、お洒落な彼女をつくろうと思ったほどです。
こちらは、その当時のシェフが場所を変え、「フレンチレストラン シャトーアンジェ」として継続されているそうですが、「塩屋異人館倶楽部」の狭い門は現在、閉ざされています。


▼理由はともあれ、若きしの憧れや、ブランドが無くなってしまうことは、「亡くなる」と同意語と感じます。ホテルやレストランだけでなく、人気バンドの解散と、どこまでも続くような、圧倒的なプレゼンスがあったはずのモノが消滅してしまうのは‥‥年いった性かなと少しセンチメンタルに。

つらくても、苦しくても、やはり「継続」することはとても大切だと思います。
ホテルは、スタッフや宿泊客に支えられて、バンドはファンに支えられて、成り立っています。その人たちがあってのことを忘れてはいけないと思います。

企業も、多くの人に支えられて成り立っています。
だからこそ、「継続」するのことの大切さを、今一度考えさせられる出来事でした。


2009年下期 スタートです。

2009年10月 1日 23:39 - [ その他 経営 ]
本日より、2009年下期がスタートします。

glaf.jpg上期を簡単に総括しますと、
 ・開発案件数の減少、それにともなう売上ダウン
 ・最終的にわずかですが目標達成ができなかった

と悪いこともありますが、それだけではありません。

 ・ERPソリューション事業の開始
 ・「集患クリック」の認知度アップ など

なにより、2名の力強いメンバーがチームに加わったことがあげられます。
(現在、内定予定者を入れると合計3名になります)

はやり、企業は、「人」、「人財力」です。


egg.jpg「仕事」が先か、「人」が先か?
卵とニワトリの関係ですが、インサイトは、「人」です。 
「人」にとことんこだわりたいという思いは、創業当時から一貫しています。

「景気が悪く仕事がないので、求人活動を控える」のではなく、「有効求人倍率が低い、この時期だからこそ、インサイトのような零細企業にでも面接に来ていただける」と思っています。

そう、「Change と Chance は一文字違い」、「大変という字は、大きく変わると書く」などと、根拠も、脈略もなく、ただ、ひたすらに次へ、次へと「坊主めくり」のカルタをめくりにいくつもりです。

2009年下期も、うるさ型の会社ですが、みなさまの変わらぬご愛顧、よろしくお願いします。


なお、本日より、この夏の間、実施していた『クールビズ』は終了し、通常の服装で対応いたします。





情報の「みえる化」とリスク管理‥東名高速の静岡地震

2009年8月31日 06:47 - [ 経営 ]
残暑お見舞い申し上げます。

8月は書き込み無しですか? と、いろいろな人につっこまれています。(汗)
別につっこまれるネタを提供しているわけではないのですが、たまたま更新ができなかっただけで、普段と変わりありません。ご心配なく!元気です。

genba-2.jpgさる8月11日 駿河湾を震源とする震度6弱をで東名高速道路が通行止めになりました。
お盆の帰省と重なり大変だったことは記憶に新しいと思います。

当初前線開通は、13日昼頃、工事完了の見通しと発表がありましたが、一転、15日中に開通なると訂正されました。

今年は、休日高速料金が1000円になったこともあり、例年より交通量は当然多く、東名高速が通行止めが延期になることは、さぞかしクレームや非難が吹き荒れるのではと思っていたのですが、意外にも、そんなにクレームが重大ニュースになるようなことはありませんでした。

その背景には、東名高速道路を管轄する中日本高速道路の説明が非常によかったのではと思います。

genba-1.jpg・スピードより安全を確保することが最優先であるということを説明し、即座に、崩落現場の地盤が弱く復旧の工法を変更することを決定し明らかにした。
・専門家でなくても分かりやすいレベルの説明・プレゼン資料を使っていた。
・その後、復旧工事の進捗を「○○%完了、復旧は○○時の予定」と進捗状況を常に発表した。
・TV、ラジオのニュースや文字放送をつかって進捗状況が常に発表されていた。
・地元住民生活道路を確保するため、建設中の第2東名高速道路の一部区間を開放した。
・経営トップがその説明をリードしていた。

genba-3.jpgまさに、「情報の見える化」とリスク管理がなされたことによるファインプレーだと思います。

2005年の道路公団民営化してから、問題はまだあるものの、公団ではとうてい出来ない、民営化の効果が出た一端だったと考えます。






企業のリスク管理でケーススタディされるのは、パナソニックの石油ヒーターとパロマの給湯器のことではないでしょうか。(いつものように、説明は省略します)

・誰にでも分かりやすい説明(経緯・現状・対応など)
・情報の透明性
・スピード感
・マスコミへの広報
・企業トップが責任を果たす

問題が起こったとき、自らの過ちを素直に認める謙虚さと、情報の公開(ディスクローズ)、そして、お客さまへの誠意を持った真摯な対応が求められると思います

新製品・新サービス発表の華やかな場所でプレゼンをして評価される経営者ではなく、トラブル時にその手腕を評価される経営者でありたいと常に願っています。


ウォーレン・バフェットとの昼食

2009年7月23日 19:36 - [ 経営 ]
action-ebay.jpg先月の26日、著名投資家ウォーレン・バフェット(Warren Buffett )氏と昼食を共にする権利(Warren Buffett Power Lunch to Benefit Glide Foundation)について競売の結果、168万0300ドル(約1億6000万円)で落札されたことが報道されました。

2003年から行われている、ebayのチャリティーオークションなので、ご存じの方も多いと思います。
ウォーレン・バフェット氏がフォーブズ紙でマイクロソフト創始者ビルゲイツ氏を去年抜いて世界長者番付け1位であることなど、彼に関する紹介は、いつものように省略させていただきます。


この世界一高いパワーランチは、最高7名まで同席・質問ができ、ニューヨークの有名ステーキハウスで2時間(予定時間)行われます。

昨年まで落札額の推移を見ると
2003年...David Einhorn、25万0100ドル
2004年...Jason Choo、20万2100ドル
2005年...Anonymous、35万1100ドル
2006年...Yong Ping Duan、62万0100ドル
2007年...Mohnish Pabrai, Harina Kapoor and Guy Spier、65万0100ドル
2008年...Zhao Danyang、211万0100ドル
2009年...Salida Capital、168万0300ドル

やはり、アメリカは不況なのでしょうか?
うなぎ登りだった落札額は、今年初めてダウンしました。(それでも、相当な額ですが)

参加者全員がワリ勘するとして、その価値は、1分あたり
16000万円÷7人÷120分=190,476円 ということになります。

ピンと来ない方には、確か日本弁護士会所属の弁護士さんに相談すると、30分5,000円(167円/分)なので、その1,140倍の額と説明するとその価値がお分かりいただけるのはないかと思います。

「賢人の教え」は高い授業料がかかるが、それに見合う対価があるのでしょう。(笑)

昼食の会話は当然非公開ですが、どんな質問が投げかけられ、「賢人」はそれにどう答えるのか、投資家でなくても、非常に興味あるところです。


power-lunch2.jpg日本のビジネスシーンで、パワーランチとか、パワーブレックファーストとかどのくらい浸透しているのでしょうか?

一部の外資系のビジネスマン、特にエクゼクティブと言われる方は、平日のほとんどがパワーランチなのかもしれません。 しかし、私の周りには、あまり見かけません。

どちらかというと、ランチは、同僚や、チームメンバーと一緒に出かけ、仕事相手とは一緒に食べません。
ランチタイムは、気分転換やリフレッシュ、癒しの要素が強く、会話も仕事以外のこと(例えば、今年のタイガースの真弓采配についてとか)をあえて話題にしてみたりします。
もしくは、一人で、立ち食い蕎麦屋に駆け込み、ササッとすませて、その後は、新聞を読んだり、コンビニに寄ったりで自分の時間に使ったりします。



「日米の文化の違い」と、片付けると簡単ですが、「何を食べるか? ではなく、誰と食べるか?」
は、万国共通のキーワードなのかもしれません。


社長ブログと称して、外食(接待)で食した料理を写メで撮影し、評価(グルメ自慢)している方、料理も大事ですが、もっと重要な事があるのでは???。